【中国アニメ】なぜ、中国のアニメ業界人の平均年齢が若いのか、政策と共にその歴史背景を紹介。

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アニメ

中国のアニメ業界とやり取りの多い日本の業界の方々とお話しをしていて、良く耳にするのが”中国のどの(アニメ)会社に行っても、皆さんとてもお若いですよね!”という言葉です。

正直、私も年配者が多い広告代理店に居たので、最初アニメ業界に入った時もそう感じました。現在32歳の私は、明らかに部署の平均年齢を上げている存在です(笑)

他の会社へ行ってもやはり同年代が多く、逆に気兼ね無く話せるような状態です。

では、なぜ中国のアニメ制作業界の若者の割合が多いのか。

▶︎ 製作・制作に関与しているIT系プラットフォームは元々若者が多い

▶︎ 待遇が良く無い、職として不安定。

など、現状に関する理由は幾つも挙げられます。

ですが、時間軸をもう少し遡って見てみると、そこには当時私自身も”中国アニメ、オワコン”と思えた重要な歴史的要因があります。

今日は、30歳を超えた中国アニメ業界に携わる・携わろうとした人達があまり口にはしないであろうが、体感的には感じ取っていたであろう状況をお話ししたいと思います。

幼少期(0歳〜6歳程):中国国産アニメも見て育った

1980年代生まれや1990年代前半生まれの中国の子供は、多かれ少なかれ中国の国産アニメをテレビに貼り付いて見ていた記憶が有るのでは無いでしょうか?

「葫芦娃」、「大闹天宫」などは正に当時の中国の国民的なアニメ作品であり、当時の中国アニメを一身で支えていたのが、”上海美术电影制片厂(Shanghai Animation Film Studio)”(以下”上美”)。1957年に設立され、現代中国の荒波を潜り抜けアニメを制作し続けた。西遊記や哪吒などの中国古典の物語、キャラクターに対する現在の中国人が抱くイメージの多くは上美のアニメが影響しています。

「葫芦娃」

因みに1980年代後半〜1990年前半、中国に入ってきた日本のアニメは「ドラえもん」や「一休さん」など、幼稚園児でも親しみ易いアニメに限っていました。

学生時代(1990年〜2000年代):日本アニメの影響

1992年、4歳の時に日本に渡った私がリアルタイムでテレビで流れていたのは、「セーラームーン」「幽☆遊☆白書」など、これまでの自分のアニメへの認識範囲を遥かに超えた作品でした。

それから数年後、「カードキャプターさくら」、「中華一番!」、「新世紀エヴァンゲリオン」、「スラムダンク」等多くの日本アニメが中国の各地方のテレビ局でも中国語吹き替え版が放送され、現在の1980年代生まれ〜1990年前半代生まれの人達に大きな影響を与えました。

(勿論、これらの作品は当時大学生新社会人だった1980年生まれより前の先輩達にも影響を及ぼしていたでしょう。)

1990年代から2000年代前半まで、当時はネット配信も無くテレビ+VCD(DVD誕生前の産物)時代。そして今は、当時こぞって日本アニメに没頭していた人達が、現在の中国アニメ業界の管理層〜中堅管理層にいるような状況が多いです。

中国アニメ業界のドン底期:多くのアニメ制作を志す人達が業界を離れた時代

海外アニメに埋め尽くされたテレビ、不甲斐ない中国国産アニメ。この状況を打開する目的でしょうが、政府より国産アニメへの補助金制度が打ち出されます。その補助金の根拠が制作アニメの尺であった事から、補助金目当てのとにかく長く、そして見れたものでは無い様なアニメが大量に制作される事となります。

そして、”まぁ、制作されるだけなら別に見なければ良いだけで、いつもの様に海外アニメにチャンネルを合わせておけば良いじゃない…”と言っていられない政策が、2006年実施されます。

広電総局(主にコンテンツの政策・審査を行う、以下当局)が中国国産アニメの支援(?)の為に打ち出した政策「关于促进我国动画创作发展的具体措施」で、各テレビ局には毎日のゴールデンタイム(17時〜21時)には、国産アニメを放送せよと規定されました。

”まぁ、その他の時間帯なら良いんでしょう?”と思えるかもしれませんが、2006年以後どの時間帯でも少なくとも私は日本のアニメが流れた情報は聞きません。偶に欧米の幼児向けアニメが流れるくらいです。

2000年代後半、アニメが好きな青年達は、大学の進路選びや就職選びなどに差し掛かった状態でしょう。ですが、どれほどの人が、中国でアニメを作る仕事に将来性を見出せていたでしょうか?

既にこの地点で、多くの若者がこの業界に入る事を諦めていたでしょう。残ったのは、それでも良いからと思えた人達でしょう。

因みに私は2007年大学入学の際は少しでもアニメと近い内容が学べると思い、「工業デザイン」を専攻としました(絵が描ける+3D、2D系ソフトウェアを学べる)。

そして大学卒業の2011年、中国アニメには微塵も希望を見出せないまま、アニメ関連に進む道は綺麗に諦めがついていました。これは後から知ったデータですが、2011年、中国アニメで制作された長さは26万分。同時期の日本やアメリカを遥かに凌ぐ”長さ”です。そして政府の補助金目当てで長さだけ追求してクオリティがお粗末な事を主要メディアでも指摘する風潮が有りました。いわば正しく”中国アニメ、オワコン”的な雰囲気がより明るみになった形です。

そして、かつて良い中国アニメを作っていた上美の年配のアニメ制作者達も、既に退職の年齢となり、徐々に制作現場から遠ぞいていました。

市場に残ったのは、”質はどうでも良い。長く作れば作るほど補助金がもらえる”と思っている会社が多く、この様な混沌とした状況下では本当にアニメを作りたいと思っていた若い世代も絶望して夢を追うのを辞めて行きました。

混沌期:政府の補助金縮小

元々支援のつもりが理想な形に進まなかったと当局も気づいたのでしょう。2013年頃にはこの補助金も徐々に規模が縮小されていきます。

そうなれば、補助金目当ての会社はどんどん”一抜け、二抜け”とアニメの制作を辞めていきます。テレビへの販売などの収入は微々たるもので、数年間の業界の実質的な退化により、そもそもの補助金意外の稼ぎ口を確保出来る様なビジネスモデルを持った作品は片手で数え切れる程しか無かったでしょう。

ただこの時代、一つの作品がネットを賑わせました。それが、「十万个冷笑话」。2012年にアニメが配信されたギャグ作品です。アニメの作画クオリティは日本アニメを見慣れたファンからするとお世辞にも良いとは言えませんが、ブッ飛んだギャクセンスとテンポの良さ、個性的過ぎるキャラで人気の作品でした。

”おや?”と期待が持てる流れが徐々に始まったのです。

ネットアニメ&アニメ映画の台頭:やっとスタートラインに立った中国アニメ

中国アニメがスタートラインに立ったと思えたのは、個人的には2015年上映された「西遊記之大聖帰来」がキッカケ的な作品だと思います。9.5億元(現在のレートでざっくり150億円)の興行収入を叩き出した本作は、アニメ映画においては”完全なる子供向け映画では無い”中国のアニメ映画の成功例として、意味の大きな作品です。そしてネットアニメもテンセントが国産アニメに力を入れ、2017年配信された「全职高手」第一期の成功は中国ネットアニメの礎的な作品だと思っています。

「全职高手」は日本アニメしか見てこなかった人達が、中国アニメにもハマるキッカケ的な作品でした。(私の周りの日本に留学までしていた様なアニメ好きな友達も、本作で初めて中国アニメにハマったようです。)

そしてこのアニメ作品の成功が、中国ネットアニメの声優の認知度&人気度合いを一気に数ランクアップさせたと言っても過言では無いかな…?と思ってます。

時は正にネットアニメ時代に突入。テレビを離れた戦場で、やっと”幼児向けじゃない中国アニメ”がスタートラインに立てたような状況です。

それからの事は、知っている方も多いでしょう。今後の記事でも作品紹介などの際に振り返りながらお話ししていきたいと思います。

まとめ

中国のアニメ業界では、現在ポツポツと優秀な作品が多くなってきました。ですがスタートラインに立って間もない業界としては、既に工業化、システム化された日本やアメリカのアニメ産業との差は歴然で有る事は言うまでも無いです。それまでの長年の”空白時代”が業界に与えた打撃は大きすぎるものだったからです。

それ故に、この業界ではいつも極度な人材不足であり、多くの場合は経験者が少ない為、手探りでの制作。そこに情熱を注げるのは、”ドン底期”の業界状況を体験していなかった若い新しい世代の人が多い事は、頷ける理由だと思っています。

そして、一番尊敬すべきなのは、この業界に今の今まで食いしばって居続けた業界の先輩達であり、そしてキャリア半ばでアニメ業界に戻り、これまでのビジネス経験を生かしアニメ会社を設立したり、他業種にいた時に得た技術で現場を引っ張っていたりする先輩達でしょう。

そんな中国アニメ業界をずっと長年見守っているアニメファンは、多かれ少なかれこの歴史的な要因を感じとっています。それ故に、今徐々に良い作品が見られる様になった時、全力で応援している事をひしひしと感じ取れます。

今回の記事は、私個人の経験した感想や周囲の業界人との雑談で感じた事を元にざっくりと書きました。

正直今回の内容は、ちょっとタブー的な要素もカスっているような…

まぁ、いいやと思いアップします(笑)

ではまた〜

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